NHK大河ドラマ「龍馬伝」に便乗しようと、昨年来岩崎弥太郎の業績を称える本が次々に出版されている。その綽尾を飾ってみせようと意気込んで登場したのが本書である。先行する弥太郎伝の数々を横目に見ながら、満を持して世に問うたといえば聞こえはいいが、その実は資料を集めすぎて料理に手こずり、図らずも、ドラマが終盤を迎えたところへ、すべり込んだまでである。
類書との違いはなにか。葬儀の場面にこだわり、克明に復元することによって弥太郎の器量の大きさを表そうとした点は本書の特色かもしれない。会葬者が5万人に及び、大相撲も休場になり、日ごろ訃報など載せたことのない「中外物価新報」(現日本経済新開)が弥太郎の死を「この有為の一人物を失うは誠に悲しむべきことにこそ」を悼んだことに弥太郎の存在感の大きさを知らされる。
「棺を蓋いて事定まる」と言うが、弥太郎が亡くなってから告別式を経て弟弥之助が第2代三菱社長に就任するまでの新聞各紙の報道ぶりを見ると弥太郎の劇的生涯が浮かび上がってくる。新聞は競って弥太郎の略伝を掲載し、読者のニーズに答えようと必死である。
死の直前、弥太郎は四面楚歌に陥っていた。藩閥政府は、大きくなり過ぎた三菱の力を抑え込もうと、巨大国策会社・共同運輸を設立、運賃値下げで弥太郎の息の根を止めようと仕掛けてくる。板垣退助率いる自由党は、「大隈重信改進党の資金源は三菱にあり」と、政敵の糧道を絶つべ“ク海坊主退治”に乗り出す。身体的にはガンを病み、余命いくばくもない。三菱創立から15周年目にして弥太郎は生涯最大のピンチに立たされたところで、命運が尽きる。50歳と1ヵ月、「わが志すところ、10中の1、2をなすに過ぎず」と無念の死であった。後の史家は弥太郎に「政商」のレッテルを貼り付けるが、弥太郎は政商であって政商ではない。その闘いの足跡を点検していくと、政府に取り入っている時よりも政府と相対峙する時の方が多いくらいだ。
西南戦争で西郷隆盛が没落し、岩崎弥太郎が巨利を占めた時、政府には「前門の鹿西郷に代わって後門の狼岩崎が出てきた」と緊張が走る。武力の親玉に代わって金力の覇者が明治政府の前に立ちはだかったのだ。政府の保護と御用を受け持つのが「政商」とするなら、弥太郎は時にもみ手もする政商であるが、時に政府に歯向かうやっかいな存在であった。「海坊主」と恐れられたゆえんである。