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米上場その後
福島 恒雄
米が、試験の二文字が冠されているとはいえ上場された。当業界は淀屋米市から堂島を嚆矢とする米相場を原点とする。戦後、東京穀物商品取引所が再開されたのも、米を上場し、米相場を再開することが第一の目的だったわけで、小豆などの雑穀はそれまでの暫定的なつなぎだったことは誰もが知るところで、米の上場というのは、戦後当業界の悲願だった。
関西商取の米上場パーティーで、井浪氏が流した涙は、戦中、戦後の長きにわたって閉ざされてきた堂島の歴史の扉をこじ開けることができたという達成感からのものだったと思う。ところが、その悲願が現実のものになったにもかかわらず、あまりにも静かすぎる。東京のことであるが、その悲願がかなった時、取引所が蛎殻町から姿を消していたことは何とも皮肉といえば皮肉ではあるが、それにしてもあまりにも出来高が伸びない。
金上場時を想い起し、はじめからそれほど出来るわけがない、という達観したご意見も聞かれるが、金と米とは当該商品に対する思い入れの度合いが違う。米は何といっても当業界の悲願だったのではないか、というのは私の勝手な思い込み、錯覚だったのだろうか。
最大の元締めともいえる全中は米上場に対し一貫して反対の立場をとってきたことに加え、今回の上場に際して、傘下に対して市場の利用は罷りならんという姿勢を示しているともいわれる。また、東京では、上場当日に値付けされなかったという笑うに笑えない事態が発生した。このことは、取引所が本来抱えているべき実物流通における需給関係と実勢価格、大震災・原発の影響度合いなどについての洞察力と洞察を支える知識と思い入れがいかほどのものであったかをはからずも露呈してしまったわけで、市場を構成する業者と取引所との間にあるべき、意思の疎通と相互信頼・協力関係がかなり危ういところにまできてしまっていることを示しているような気がする。
週刊現代のWEB版である現代ビジネスの8月17日7時5分配信の記事を読むと、東工取との統合が破談となったことは、わが国の農政が、あるいはすくなくとも米の上場問題が、経済合理性や国際情勢、内外の経済情勢や貿易自由化、地球規模の食糧、エネルギー危機と食糧自給率などとは別個のところにある何かを基本に動いてきた、ということをはっきりと見せつけた事象ということになるが、そっと思い浮かべ、密かにいうのだが、もともと日本の農業政策には、スクラップアンドビルトという概念はなく、ビルトだけがそこにあり、長く続いた食管制度のなかで積み重ねられてきたものは今も存続し、これからも存続し続けていくのである。
今回の米上場は、その米の生産・流通の既得権益という大木に接ぎ木された極めて小さな小枝であることを肝に銘じて、市場振興その他の対応策を考えていく必要がある。関西商取からは米上場記念パーティーに、ご招待いたたき、出席して地元の方々とお話する機会を得、その時語り合った市場振興策について、少々現実的でないかもしれないが書かせていただく。
まず、取引所の名称を、関西ではなく、大阪、あるいは堂島か阿波座なりを冠すことにし、下の部分を商品ではなく、米穀にする。つまり、大阪(あるいは堂島・阿波座)米穀取引所に変更する。
次に、東京に歩調を合わせるのではなく、あくまで大阪・堂島の歴史を背負った独自の市場として、オリジナリティーの追求を旨とし、取引仕法やシステムを構築する。国際水準にするとか、市場の国際化などということはこの際忘れるべき。国際化というのは、国際水準に合わせることではなく、世界の中で、如何に優れた独自性を示せるか、ということである。まして、日本の米は、グローバルな視点でみれば、極めて特異な存在であることは、拙稿「沖縄タイ米取引所構想」で触れたとおりで、何も世界的に見て特異な商品を国際水準に合わせて取引することにこだわる必要はない。
次いで、定率会費を当分の間5円程度のごく少額に抑え、取組高増大に力を傾注する。幸い会員制取引所であるから、会員相互の信頼と共同歩調に基づき、今後3ヵ月間程度、日々一定枚数の両建てを義務付けしたらどうか。
最後に、付加的に得られることになったその定率会費を使って、検品体制を含め受渡しの能力を充実させ、この際、売り方勝手渡しのあり方も再考したらいかがだろうか。 |