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平成の打壊令を廃す時
市場経済研究所 鍋島 高明
桂太郎は三度内閣を組織するが、首相在任中には日英同盟締結、日露戦争、日韓併合、大逆事件など伊藤博文の政策に比べて強引であったとされる。桂は世間では一廉(ひとかど)の相場師のように思われていた。「桂さんはかつて陸軍省の予算を担保に、機密情報を利用して大相場を張ったそうじゃ」とか「桂さんの政党操縦費は大方は相場の儲けから出ているらしい」などとはやされていた。こと相場のことに関しては相当な腕前であったらしいが、取引所の制度、仕組みについてはよく知らなかったとみえる。
明治35年6月、株式取引所の3限月制を2限月に短縮する案を閣議決定すると、東株は200円から一気に150円に崩落、取引所は立会停止となる。世間は大騒動となり、桂太郎のもとには陳情団が殺到する。だが、陳情の中身がよく分からない。その時、首相秘書官の中嶋久万吉が限月取引の効用を説明する。中嶋は後年、商工大臣をつとめるほどの人材だが、東京高商を卒業すると、東京株式取引所に勤務したことがあり、先物取引のことは精しい。
中嶋は語る。
「限月取引の制度はわが国独特のもので、当、中、先と3カ月先の思惑を一取引の上に試みるうちに、世間多数の先行き見込みも楽悲、強弱、雑多に働きかけてそこに自然の調節が行われ、その結果、相場は大なる時変がない限り、それ相応な足取りを見せるもので、詰まり世間の正しい見通しが無理なく相場の上に現れる結果になるのです」
桂太郎がいま一つ合点がいかない風なので、中嶋は具体的にコメ相場の事例を持ち出した。
「明治初期からの深川正米市場と蛎殻町の定期米市場の相場の足取りを調べてみると、正米市場の相場が往々、乱高下して、時には波乱畳々を極めているのに、定期米市場の相場が大体、順当な高下をなしているのは、以上の理由によるので、定期市場というて、ただ一概に無茶苦茶な思惑の横行する場所のように考えるのは大いにその真相を誤っているわけで、このたびの農商務省令は、今日の時世において理想に偏したかのように思われます」
桂太郎も限月短縮の誤りを理解したのであろう、翌年、もとの3限月利に戻した。このため、平田東助農商務相、木内重四郎商工局長は責任を取って辞職した。この限月短縮令は俗に「取引所打壊令」と呼ばれ、取引所の根幹を揺るがし、取引所を打ち壊すものと非難ごうごうであった。在日外国人の間でも「日本の誇りとするものは皇室と富士山と限月利だ」といわれたくらいで、われらが大阪商人の知恵が生んだ歴史的商習慣は世界に冠たる仕組みであったのだ。激減していた出来高は限月復旧のその日からにわかに活況を呈し、株式市場は建った。
さて、平成の打壊令ともいうべき、商品先物取引法における勧誘規制は一刻も早く見直さなくてはなるまい。せっかく、菅直人内閣ドタン場の英断で上場を決めたコメにしても悲観楽観、強弱さまざまな相場観を反映して妥当な米価水準が示されるはずだ。不招請勧誘の禁止下においては、種々雑多な見通しが反映されず、偏った価格を産み出す恐れがある。
悪質業者の退場、トラブルの撲滅が達成されたいま、市場の建て直しこそ急務である。監督官庁とは、所管する業界の発展を側面支援することが任務であって、危急存亡の今、コメという最大の懸案であった商品の上場を機にポンプをマッチに持ち代える時である。 |