|
相場は頂点に咲く花
市場経済研究所 鍋島 高明
「赤いダイヤ」が人気を集めていた当時、東京穀物商品取引所の記者クラブに永松石秤という名物記者がいた。日経の若い記者が締め切り時間の切迫で必死にマス目を埋めているのを尻目に翁はパイプをくゆらしながら花札(多分コイコイ)を楽しんでいた。永松翁が原稿を書いている姿はトント思い浮かばない。それでいて引退する時、東穀開所来の小豆相場のケイ線(週足?)を作成、クラブの連中にも一冊ずつ片身分けのように分けてくれた。書庫を探せば出てくるはずだ。
先般、東穀取が引っ越すに際し、蔵書を処分、トラック何台分かが神田の古書屋に運び出された。その直前、ほしい本があれば─とのお言葉に甘えて2、3日かけて書庫を探索、段ボール箱一杯の本を頂戴した。その中に「相場の哲学」という本がある。「まえがき」からして悠揚迫らぬ永松さんらしい。
「なにごとも血眼になってはならぬ。目の前もよく見えなくなる。一刻の油断も許さぬ相場の世界でも、たまには休養を心掛け、冷静な目で周囲を見回すほどの心のゆとりが望ましい。頭を冷やし、目をハッキリさせてこそ戦略、戦術に誤りなきを期し得るというものだ」。
「東京商品日報」の「有余不足」欄に掲載したものの中から選択して収録したのが本書である。この本の編集に当たったのがやはり時事通信の営業畑のOBでなかなか商才のあった柳迫富士夫氏。「永松翁の相場談義は後世に残す価値があるはず」とにらんでの出版であったろう。柳迫氏はいう。
「われわれの先輩が歩んできた相場の道を振り返ってみることは大いに意義があると思う。なぜならば、相場は人生究極の根本原理を追求する学問にも通じる人生哲学で、単なる体験の表現ではない。その背景には合理的な哲学的性格を持っているからである」。
昭和52年の出版で、当時はまだ街頭詰め将棋が横行していた時代でもある。一見すぐ詰みそうに見えるからつい手を出す。ところがハメ手が仕掛けてあって、なかなか詰まない。16手も打って詰まないと一手50円として800円の負けである。詰め将棋に手を出して損をする連中と相場で損する人との間には共通する点があると永松翁はいう。
「自己の都合の良い言葉だけを無批判に信用し、欲にかかって、うっかり手を出すから損をする点は似ている。相場で損をして相手を恨むものは、儲けるのも、損をするのも結局は自らの責任にあるということをつい忘れてしまっているのだ。外務員の教育ももちろん必要だが、客の相場に対する啓蒙、宣伝、正しい認識を広めることが、それ以上に大切であると思う」。
閑古鳥がペンペン草をつっつくような昨今のCX市場に永松翁は「顧客教育を怠ってきた付けが回ってきたのでしょう」と冷ややかな眼差しだろうか。いや、CX市場の栄枯盛衰を知り尽くすと同時に不滅の投機市場であることを強調する翁なら「いまからでも遅くない。お客さんを教育して、うんと相場を楽しんでもらうことですよ。柳迫さんも相場は人生だと言ってますからね」と、温もりのある言葉がいただけそうである。翁はいう。「人間社会の一切を包合して営々と続いていくのが市場である。その頂点に咲いた花が相場である。政治より何より優先する人間生活の本質なのだ」。 |