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人脈の金縛りに驚嘆
リーマンショックの舞台裏
杉江 雅彦
 後に“リーマンショック”と呼ばれ、世界同時不況の代名詞になつたリーマン・プラザーズ証券の破綻は、いまから2年前の2008年9月15日に起きた。その日のわが国の新聞報道は、ほぼ次のようなものだった。
 「リーマンは当期赤字の見込みになり、顧客や取引先の信用を失って事業が続けられなくなるおそれが強まった。身売り先を探して米欧大手と交渉していたが不調に終わり、破綻に追い込まれた」(朝日新聞夕刊)。
 しかし、先日邦訳出版された、ニューヨーク・タイムズ紙のトップ記者であるアンドリュー・ソーキンの『リーマンショック・コンフィデンシャル』を読むと、リーマン破綻の直前までアメリカの金融関係者が(財務省、NY連銀が主導して)、利害関係をむき出しに渡り合った経緯が生々しく語られていて、今更ながら被らがタフネゴシエーターであることを痛感させられた。
 破綻当時のリーマンのCEOだったリチャード・ファルドは、叩き上げの個性的な男で、ポールソン財務長官(当時)に言わせれば、「ウォール街の抵抗勢力」だったという。コロラド大学を出てリーマンに入社したファルドは、もっぱらトレーダーとして成績をあげ、1990年代半ばにCEOに就任した。ファルドが主導した事業多角化戦略がサブプライムローン問題の発生で行き詰まり、株価暴落で「リーマン危うし」の声が高まると、彼は人脈をたどって電話を掛けまくり資本増強を要請し続けた。
 リーマンと同業のメリルリンチも自力で経営を続けることができなくなったため、ポールソンはガイトナーNY連銀総裁(現財務長官)と連携して、両社の金主探しに手を貸した。結局、メリルリンチにはバンク・オブ・アメリカが救いの手を差し伸べたが、リーマンは最後の最後ではパークレイズに逃げられ、破産の道を選んだのである。
 ソーキン記者の筆になる克明なコンフィデンシャル(秘話)によって、ウォール街を中心とする人脈の濃密な錯綜ぶりが浮き彫りになったが、読みすすむにつれ、ただただ驚くばかりである。たとえば、ポールソンはゴールドマン・サックス出身だが、ルービン元財務長官もゴールドマンでポールソンと親しかった。またガイトナーは財務省のキャリア官僚だったが、やはりルービン、サマーズ両元長官の弟子にあたる。ちなみに、メリルリンチのCEOだったジョン・セインもゴールドマン・サックスでポールソンの側近だった。それに反してリーマンのファルドは、ポールソンの目には「危険を冒す男」と映っていたらしい。
 ひるがえってわが国の金融界では、アメリカのような人脈相関図はみられない。まして商品業界における市民のパイプの無さには茫然とする。

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