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商品ファンド(1)
福島 恒雄
社団法人日本商品投資販売業協会、いわゆる商品ファンド業協会が解散する。私は平成3年4月25日に同協会が任意団体として発足する時点から12年間強事務局員として働いていたことから、同協会の歴史の数少ない証言者の一人ということでもあり、当時の思い出を含め私の商品ファンドの関わり合いなどについて書きとどめておくこととし、本紙面を数回にわたりお借りすることをお許し願いたい。
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■協会以前
私が商品ファンドと関わりを持ったのは商品ファンド業協会の立上げより以前で、昭和58年まで遡る。当時、全協連では「業界の新たな営業ツールを開発すべく二つの研究会を立ち上げ、その研究会の一つで商品ファンドを研究することになり、その商品ファンド研究会の運営・事務作業を任されたのが始まりである。その研究会「商品開発等研究会Aグループ」は、明治物産・戸高・広商事・赤羽、ミリオン貿易・相川、大協商品・相川、サンライズ貿易・三嶋、カネツ商事・水野の各氏と私で構成され、約6ヵ月の検討を経て、「米国商品ファンドの実態とわが国へのファンド導人の可能性と問題点」と題するレポートをまとめた。米国の商品ファンドの実例としてプロスや書籍を翻訳する一方、証券投資信託の構造などをまとめたもので、それなりに充実した内容になったものの、わが国導入には出資法を含め様々な法的、制度的な制約が多く、法的手当てなくして難しいという結論だったことからか、本当の理由は聞かされていないが、上層部から「部内限・未定稿」扱いとされた。
しかし、この研究会での活動こそ、私にとっての商品ファンドのベースであり、特に、米国の商品先物取引制度の変遷と商品ファンドが法的に成立するまでの流れが書かれた書籍の一定部分を四苦八苦しながら翻訳したことは大きな収穫となったことは事実で、ブルースカイ法やパートナーシップ法、信託関連法などの制度的な位置付けや内容にこの時点で馴染むことができたことになる。
その後、平成元年法改正の準備段階で、本紙の記者に転身し、「商取法改止を考える」を連載していたことから意見交換するなど、業界紙記者という立場以上に主務省との関わりが強くなり、同改正成立後、通商産業省(経済産業省)が商品ファンド法を本気で作ろうとしていることを知るところとなる。当時、すでに三菱商事や三井物産が私募の商品ファンドを設定して当業界に販売していたが、通産省はそれら商社のみならず、オリックスや住商リースなどのリース会社、日本信託やオリエントコーポレーションなどのクレジット会社等から強力なバックアップを受けて商品ファンド法の成立に向け動き始めていたのである。
その背景としては、当時、証券業界が強く推し進めでいた「セキュリタリゼーション」に対するノンバンク系の危機意識がある。当時、証券業界は免許制で、参入障壁が高い閉鎖的な業界だったこともあり、そのような閉鎖的な業界にセキュリクリゼーションという美名のもとに金融商品が集約されることは、ニッチ商品を開発し金融・証券業界に参入しようとしていたノンバンクにとっては、その道を閉ざされるに等しかった。 |