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投機についての再論
杉江 雅彦
 筆者は2ヵ月前の本欄で投機について触れ、「“投穂は合理的な経済行動の一種である”という単純明快な理論を確立しない限り、日本の商品先物市場に将来は無い」と書いた。今月も再度、投機について感じていることを述べさせてもらう。
 今年の春先から中国でニンニクの価格が急騰した。その理由はニンニクの主産地である四川省や雲南省が干ばつのため、生産量が大幅に減少するという予想が広がったからである。当然ながら投機筋がこれに目をつけた。
 中国人家庭の食材としてニンニクは欠かせない必需品である。筆者もかつて中国本土を列車で移動中に、とある駅で夥しい量のニンニクを貨車に積み込む光景を目のあたりにしたことがあった。そのニンニクがなんと昨年同期の十倍にもハネ上がったというから只事ではない。中国ではニンニクが投機の対象とされたのである。
 古い話を持ち出すと,17世紀に入ってオランダが世界の覇権を握っていた頃、アムステルダムを中心にチューリップの球根をめぐつて、大きな投機バブルが起こったことがある。たかがチューリップの球根にベラ棒な値段がつけられた。しかし宴が終わった後には、ほとんど只同然の球根の山が残っただけだった。
 価格が動くと、それに反応して投機が起こる。これは古今東西の共通現象であろう。つまり価格が動けば、そこに儲けのチャンスが生まれるからである。もちろん、いつでも誰もが投機によって利益を得るとは限らない。かならず損失を蒙る人も出てくる。
 よく「先物取引はゼロサムゲームだ」といわれるが、筆者はかならずしもそうは考えていない。たしかに売買契約は売り対買いであるから、どちらかが勝てば相手は負ける。ところがそこに時間の概念を人れて考えると、かならずしもゼロサムとはならず、オールサムの場合だってあるのである。
 「投機は悪だ」と声高に主張する向きもあるが、それは投機が入ることによって価格が変動することを嫌がる人の言うことであって、投機は悪でも何でもない。
 “マネーサプライ”を金融政策に取り込むことを提言したミルトン・フリードマンによると、巧拙さまざまな投機家が市場に出入りしている間に、最後には巧者だけが市場に残るから過度の価格変動は起こらない、むしろ価格は平準化するという。
 もっとも、先物取引を監督・規制する側の人達はフリードマンほど楽観主義者ではなさそうである。したがって、過度の価格変動が起きることを極端に警戒する傾向が強いようだ。つまり、価格が動くのがマーケットであるという基本的理解に欠けていると言わざるをえない。

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