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角を矯めて牛を殺す
杉江 雅彦
 個人の経済行動が大きくふたつに分類できるとすれば、消費者としての個人と投資家(者)としての個人になると思われる。
 前者はいうまでもなく、人間が生きて暮らしていく上で不可欠な基本的行動である。それに対して後者は、収入から支出(主に消費支出)を差引いた残額つまり貯蓄と、これまでに蓄積した資産(親からの贈与や相続を含めて)をふやす、もしくは維持する行動であり、これも生きていく上できわめて重要な機能を持っている。
 消費者も投資家のどちらも、できる限り危険を回避して安全に運営する必要があるため、国の制度として消費者保護と投資家保護が存在していることはいうまでもない。
 ところで、消費者保護は別として、証券や商品先物などリスクがある金融商品を取引し、あるいはこれらに興味を抱いている個人に対する投資家保護はいかにあるべきか。このことに関する歴代政府の基本的な考え方は、個人投資家をリスク資産から遠ざけることにあると言わざるをえない。まさに「君子危うきに近寄らず」の格言を忠実に実行している感がある。適合性の原則や再勧誘の禁止がそれであり、さらにこれから導入されようとしている不招請勧誘もこれにあたる。
 個人投資家を安全地帯に避難させるためと言わんばかりのこれらの施策は、これだけに留まらない。商品先物取引における実質的証拠金引上げ、FXのレバレッジ比率の上限規制などにも及びつつある。
 たしかに米国でも、1929年大恐慌後の金融規制強化の一環として、株式の証拠金取引(わが国の信用取引はこの制度を真似したもの)の証拠金率変更の権限を、FRB(連邦制度理事会)に与えたことがあった。それは、大恐慌発生直前の株式バブルの際、個人投資家がブローカーズローンという、株式売買資金を証券業者経由で銀行から借りる制度を利用しすぎた結果、その後の株価大暴落で破綻する者が続出したために取られた措置だった。いわば緊急避難的制度であったといえる。現にその後、このFRB規制は現状に合わなくなったとして撤廃されている。
 これに対して、わが国で進行中の一連の制度改正は、恒常的に個人投資家をリスク資産市場に近づけさせないとしか思えないものであり、投資家保護と市場機能(あるいは経済的機能)の維持とが、まったく関連づけられていない。なかでも不招請勧誘禁止の制度化は、情報の入手や分析が不足がちの個人投資家からリスクを理解するための機会を奪うものである。
 投資家の自主責任という言葉は、もはや死語と化したのであろうか。「角を矯めて牛を殺す」の格言通りの短絡的法律論がまかり通っていることを、深く憂慮するものである。

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