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拝啓 小沢幹事長殿
沼野 龍男
 私は一先物業界紙の記者として東京は日本橋蛎殻町にある東京穀物商品取引所の記者クラブに席をおく者でございます。
 この取引所は昭和27年に大豆、小豆、馬鈴薯でんぷんの先物取引を行う農産物取引所として設立されました。この場所は明治7年(1874年)に「中外商行会社」が設立(余談ですが西郷隆盛の私邸跡といわれている)されて以来、コメの清算取引が行われていた由緒ある土地であります。明治26年公布の取引所法に基づき東京米穀取引所に改組されてから116年が経過していて、建物は昭和62年に建て替えられていますがイオニア式列柱のある重厚な姿は蛎殻町の歴史と伝統を象徴するかのように見えます。
 ただ、昭和14年に戦時統制経済への移行により、その機能を失い閉鎖されましたが、戦後昭和25年新たな商品取引所法の制定に伴い今日の東京穀物商品取引所が再開しております。
 取引所では多くの需要と供給が交錯して、時々刻々価格を形成しています。その相場が高すぎると思われれば売りが、逆に安すぎると思われれば買いが瞬時に入り、行過ぎた価格、プレた値段はバランスよく収束される働きがあります。取引所で容認された規格品を輸入、生産、加工すれば取引所を通じてどんなに大量でも販売(売却)できるし、逆に取引所を通じて仕入れることも可能であります。
 取引の公明性が保たれれば、少ない担保(証拠金)と小額のコスト(手数料)でリスクをカヴァーできる保険的機能もあります。
 日本の休耕田がフルに活用され農家の自活と食料の自給率を高める必要が到来した祈、取引所が果たす役割は不可欠と考えます。休耕田に税金から補給金を支払うこともなくなるでしょう。
 先物取引所がもつ様々な機能を十分発揮させるために必要不可欠なものが市場の流動性の厚みであります。あたかもダムの貯水の如く豊富であるほど、活用の範囲が広がります。そして、そのリスクを積極的にとってくれる投機家の多くは商品取引員と商品外務員の勧誘活動の賜物であります。残念ながら、業界側にもかつて自浄能力に欠けた部分があったとしても、一部の役人、御用学者の事なかれ主義が生んだ規制の山で畏縮し身動きがとれない状態になっています。このため生きた機能する取引所は形骸化し、間もなく消滅するのではないかと危惧しております。
 先物市場が真に所期の目的を達成できるよう、先物業界の実態をご賢察の上、一喝願いたく一筆認めます。
敬 具
(週刊 先物ジャーナル 10年1月1日 1020号 掲載)

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