前号へ  次号へ               


12人の怒れる男
沼野 龍男
 1957年アメリカ、シドニー・ルメット監督の劇場映画のデビュー作。舞台はニューヨークの法廷。殺人事件の審理が終わり別室に移る陪審員たち。彼らはお互いに名前も職業も知らない。被告17歳の不良少年。アパートの一室で父親を刺殺した嫌疑がかけられている。
 うだるような夏の日、男たちは早く全員一致の評決をすませて帰宅したいと思っている。
 評決のための議論か始まる。1人だけ無罪を主張する第8陪審員(配役ヘンリー・フォンダ)の粘り強い説得が他の陪審員の心を動かしていく。証拠や目撃証言のあいまいさも分かってくる。自分の信念を貫き、人に語りかける勇気や人間の真実がどんなに大切なものかを凄い迫力で訴えてくる。ついに1人を除き他全員が無罪側になる。ただ1人有罪を主張する第3陪審員(配役リー・J・コップ)は自分の息子に裏切られ心に深い傷を負う男だった…。頑として反対していた彼も、ついに鳴咽とともに無罪を認めた。他の陪審員たちは彼の気持ちや感情を痛いほど理解していた。
 冒頭で、別室へ去る陪審員をじっと見つめる少年、その命の尊さが改めて思われる。第8陪審員のリーダーシップもさることながら、最後まで残った第3陪審員のパワーも凄い。
 折しも、裁判員制度がスタートする日本にあって、確かにある種教材になりうる映画だが、これほどの役割や使命感を裁判員に課し、または期待されるとなればしり込みする人もでるであろう。
 当時、アメリカの陪審制度がいくつかの問題を抱えていて、それが社会的テーマであったことも、この映画の制作動機であったろう。
 担当陪審員の選任の仕方、白人と黒人の配分などで、結論が容易に予測されるようでは真実の追究とは程遠いことになる。
 いま改めてこの映画を観るとき、先述したように裁判員のあり様へのテキストというよりも、企業やあらゆる組織の管理者たち、すなわち他者に影響力を持つ人への啓発、研修教材として多くが浮かび上がってくる。「信念を貫くことの大切さ」、「粘り強い説得力」、「相手の心情を理解しながらコミニュケーションをすることの大切さ」、「真実を追究することの大切さ」、「付和雷同の恐ろしさ」、「真のリーダーシップのあり方」等々である。
 もし、あなたの周囲にこの第8陪審員や第3陪審員がいなければ、あなたや私がその役を引き受ける努力をしてみようではありませんか。少なくとも、諦め、おざなり、逃避などの言葉は使わないようにしたい。
(週刊 先物ジャーナル 09年6月15日 993号 掲載)

inserted by FC2 system