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投機と国勢は一体だ
市場経済研究所代表 鍋島 高明
イギリス人は賭け事が大好きである。チャールス・ラムの「エリア随筆」に登場するバトル(戦闘の意)夫人はトランプ好きで、トランプの弊害を説くけちな連中に向かって、こう言い放つ。「元来、人間は賭博するようにできた動物です」。そんな国柄だから、経済学者のケインズと宰相W・チャーチルが総選挙結果を賭けてもなんの不思議もない。
浅田次郎氏の著作からの孫引きで恐縮だが、論語の中に「博奕なるものあらずや、これを為すは猶お己むに賢(まさ)れり」という言葉があるそうだ。何もせずにボンヤリしているより、博打でも打っていた方がましだ、と孔子は申されたのである。
「どこやらに沢山の人が争ひて、くじ引くごとし、われも引きたし」と詠んだ石川啄木の一首をもって、人間の持つ賭博性を論ずる人もいる。樋口一葉女史が「もうこの世に希望はありません。一時の危険を冒してでも相場をやってみたいのです」と言って、当代きっての占い師久佐賀義孝を訪ねるくだりが日記にある。一攫千金を願うは人間の性である。
賭博と投機は同じものではないが、共通する部分もある。将来に起こり得る不確実な出来事(出来値)を巡る思惑のぶつかり合い、それが投機だ。「最小の労力で最大の欲望を充たすことが経済行為の根本原理である」と喝破したのは、アダム・スミスである。そして、「人生は決して長いものではない。早い結果を欲している」と言いつつ、ケインズはシティのロンバード街に通い続けた。
投機を忌み嫌った代表にナポレオン一世がある。ナポレオンは「引き渡しできないものを売ってはならない。引き取れないものを買ってはならない」と証拠金取引を規制したが、裏をくぐって、投機、思惑は以前にもまして盛んになるという皮肉な結果を生んだリンカーン大統領は南北戦争の最中、金投機が白熱化すると「いやしくも国家の安危にかかる時、投機に熱中するとは何事か」と投機取引を禁止した。だが、四、五日後には復活せざるを得なかった。
日本でも何度か「米相場」を禁止したことがあるが、そのつど「虎市」が立って、ヤミ値を横行させるだけだった。昨今の行政は、あたかも投機取引の抹殺を企図しているかのように思えるが、少し歴史を繙いてもらいたいものだ。育成、強化に知恵を絞る時ではないか。投機の盛衰は国勢と表裏一体を成すことを歴史が今や証明している。 |